許容する事と行動する事 ティール・スワン
許容(Allow)することとはどういう事を意味するのでしょうか? 「許容」の状態であることは、意図的に思考、言葉と行動を選択し、あなたの欲するものを現実にマニフェストを可能にすることを意味します。あなたの欲するもののマニフェストを許容するためには、自分の考え、言葉や行動は、あなたの欲するものとライナップする必要があります。
たとえば、お金を望むと同時に、思考は「十分なお金がない」と思えば、お金をマニフェストする経験は出来ません。なぜなら、お金の思考と十分なお金はないという思考は、ヴァイブレーションがマッチしていないからです、アライメントしていないのです。私たちは、感情的にネガティブに感じていて、許容の状態にいることはできません。私達は感情的にネガティブに感じれば、行動を起こすことができないし、許容の状態になることもできません。そして、私達がどんな行動を取ろうとも、思考で欠けているものを補うことはできません。でも、行動を起こすことは、許容することと矛盾するのではないかしら、それとも行動を起こす事は、許容の重要な要素なのでしょうか?
許容(Allow)を考えるとき、私たちのほとんどは心の中に同じような絵を描きます。私たちのほとんどが描くのは、自分をユニヴァースへ完全に受身でサレンダー(委ねる)状態で至福に満ち瞑想している人です。私たちの心に、非アクティブの状態を描きます。私たちは、想像します、許容するということは、ユニヴァースが私たちのために、私たちの生を生かせてくれると。私達は、まるで自分達の生をユニヴァースが”運命”とか “目的”と呼ばれる事前に決定されたゲームをプレイしているチェスの駒であるかのように扱っています。しかし、許容のこの描き方は誤解です。許容の状態は、非アクティブの状態ではありません、それは精神的な怠惰とゆだねる状態ではありません。それは意図的なフォーカスとインスピレーションによるアクションの状態です。
許容の状態は、完全な非抵抗の状態として考えることができます。完全な非抵抗の状態は停滞エネルギーではありません、前進のエネルギーです。「起こることは、起こるべきことです。」というスピリチュアル・コミュニティのことわざがあります。そして、それは真実です、もし、あなたがそれが起きるべきだと知っていて、それが起こっている場合にはです、でも、スピリチュアル・コミュニティの中では、これを私たちが自分自身の生のクリエイターであることの責任逃れに使っています。
“何でも起こることは、起こるべきことだ。”と言う考えは、私たち自身の生に全く無力に感じたときに、私たちの慰めになります。それは、抵抗を解放するために助けになりますが、ここには問題があります。この信念によって人生を生きる人たちは、多くの場合、私たち自身の生に無力であることを奥深く感じています。私たちは、宇宙のなすがままに私たちの生を生き、そしてこのユニヴァースの一端であることを忘れていることです。基本的には、私達はあきらめたときに、受身で降伏の言い方で、「何でも起こることは、起こるべきことだ」を使います。私たちは、自分たちの生に沢山の抵抗をつくりあげており、自分の欲しいものを創りあげる能力を信用しないで、あきらめ、ユニヴァースにそれ(責任)を回すと救われたように感じるのです。
あなたがここにいる全ての理由は、ユニヴァースが、自身を拡張のリーディング・エッジであるあなたの形でこの物理の次元に投影することで利を得ることを知っていたからです。わかりますか? リーディング・エッジということは、あなたがユニヴァースをリードすることで、反対ではないことを意味します。あなたが、あなたの人生の行きたい方向をユニヴァースに云うのです、反対ではありません。ユニヴァースは単にあなたの現実を配置するだけです、完璧なミラーで、あなたの現在の考えと一致するようにです。
あなたがネガティブまたはポジティブな事どちらを考えていようが、あなたはどのようになるかユニヴァースに伝えていて、それが現実になるのです。ユニヴァースはあなたが神である以上に神ではありません。ユニヴァースはあなたの視点と、あなたのための正しい欲求を通して学んでいます。ユニヴァースは無生物のチェスの駒で一杯のチェス・ゲームのように私たちで遊んではいません。代わりに、アニメーションのチェスの駒のようなものです、私達はどこに行きたいか、プレイヤー(ユニヴァース)に伝え、そのことを通じて、プレーヤー(ユニヴァース)は自身について学ぶのです。チェスプレイヤーはチェスの駒を通して自身について学びます、チェスの駒は、自身の投影であるからです。チェスの駒、チェスプレーヤーは、まったく同じビーイングの違った現れ方です。
宇宙があなたのためあなたの人生を生きることができるなら、あなたはここに来ていませんでした。実際、それはこのユニヴァースの拡張を止める確実な方法でしょう。あなたが自分の人生をユニヴァースに引き渡す人生を過ごすとしたら、生きている本当の意味がありません。あなたがゲームをプレイしていないとき、ユニヴァースは、ゲームをプレイすることができないためゲーム中に一服しているようなものです。ユニヴァースはあなたの番なので、あなたが動くのを待っているし、あなたはユニヴァースの番だと思うので、あなたは待ち続けています。
あなたは結局止まってしまう。あなたはユニヴァースに方向ずけのためにエネルギーや勢いを与えていないのです。重要なことを覚えておいてください。あなたがボールを投げる必要があります、ユニヴァースに投げ返してほしいなら。覚えておくべきもう一つ重要なことは、より多くのボールを使えば、そのうちの一つがホームランになるチャンスがより多くあるということです。私達の要望を満たすことができるうちの特定の事を必要とするという考えに固執していると、それが功を奏さなければ、私たちの望みを達成できないことを恐れて、多くの抵抗を作り出します。ですから、私達は心配しないことです。心配は抵抗です。そして、代わりに多くのオプションの方にエネルギーを注ぐことができれば、私達は抵抗が減る為、私たちの望みに向かって許容の状態になり、より速く、より簡単にマニフェストできます。実用レベルでは、この問題は宝くじをする人々の人口統計の中で繰り出す事ができます。
私達が何億円かを手に入れる唯一の方法は、宝くじに当選した場合であると確信しているなら、宝くじに向けて全てのエネルギーをむけます。でも、また、私達は宝くじに当たることについて関心を向けすぎる為に、宝くじに当たらない可能性を心配します。したがって、私達は自分が望むもの自体に抵抗することになります。と言うわけで、私達は宝くじに勝つという状況を私達自身の生に創ることを許しません。
そして、それ以上に重要なことは、私達は金銭的豊かさを経験するための他の可能性すべてを禁じることです。私たちの信念で、お金が来ることができる唯一の方法が宝くじを介してであるとユニヴァースに云います、それは正に私達の心配の原因で、抵抗しているところです。私達がそうしているとき、自分自身に豊かさを許可することはできません。代わりに、自分自身を制限しているのです。私たちはユニヴァースへ複数のボールを投げていません、一つ投げているだけです。それも自分自身の抵抗のために、情けない投げ方をしています。一種の強風にボールを投げるようなものです。したがって、そのボールがホームランになる可能性は非常に低いのです。
スピリチュアルな生と許容の状態は、至福に満ちた怠惰を意味するものではありません。
まさにそのアイデアは、あなたがあなたの現実のクリエイターであるという真実に真反対です。アクションは気持ち良いものです、あなたが行動することは物理的に明確にマニフェストしているから、気持ち良く感じるのです。インスピレーションの結果として行動する経験のスイートさは、私達が何度も何度も物理的な次元に来ることを選択する理由です。ですから、時によっては、行動を起こす事が許容する最高の形であるといわざるを得ません。受動的に委ねることは、必ずしも最善の許容の状態ではありません。受け身に委ねることは不信と自己不信の結果かもしれません。ほとんどの場合、私達が、圧倒されたり無力であることの感覚に対処しようとしていることの表れです。私達は自分のコントロールが不可能と思われる現実の圧力から逃れるために、受身でサレンダーの方法を取ります。
自問する時です。私はユニヴァースに私の人生を生きさせようとしているのか、私は自分の人生を生きているのか?あなたの人生を生きるためには、まずあなたが欲するものを決め、インスピレーションを使って望むものの方向に向けて行動を取る必要があります。最高の許容(受け入れ)の状態は、サレンダーの状態ではありません。最高の許容の状態は、ポジティブなフォーカスの状態です。二番目の許容の状態は、インスピレーションを得て行動をとる状態です。
インスピレーションを得て行動を起こすこととは、ポジティブな感情に触発された行動を取ることです。これは、ネガティブな感情の副産物である、要請された行動の反対です。要請された行動は、一時的に救われたように感じるかもしれませんが、ネガティブな感情によって引き起こされているので、ポジティブな結果を得られません。宇宙で最も強力な法である引き寄せの法則は、ネガティブな感情はネガティブな行動のみと一致し、ネガティブな結果のみと一致することができると指示しています。
ヘロイン中毒者の挙動を調べることによって、容易にこれを見ることができます。私は恐れや無力を感じるとき、ヘロインを使用する衝動を感じることがあるかもしれません。無力と恐怖感を改善してくれるので、ヘロインを使用するというアイディアと行動は解放されるように感じることがあります。しかし、それは、無力と恐怖の結果からのアクションであるため、引き寄せの法則によって、そのアクションを取ることの結果は、唯一、もっと多くの無力と恐怖であり得るのです。
一方、恐れや無力感じるときに意図的に、より良い考え、より良い感じの思考(考える事で救済のように感じる思考)を探せば、最終的に自分自身にポジティブな感情、自身に力を与える思考を考えている自分を見つけることでしょう。もしかして、そのポジティブな考えは、突然自然の中でハイキングに行くというインスピレーションを感じること、そして、そのアクションは、エンパワーメントのように感じたポジティブな思いからインスピレーションを得たため、もっと多くのエンパワーメントのみにつながるポジティブな結果をもたらすでしょう。
スピリチュアルな人生を生きることは、神へのバックシートまたはユニヴァースへのバックシートを取るという意味ではありません。ユニヴァースに対抗するのではなく、自分自身と共に作業するのを受け入れることを意味します。あなた自身に対抗するのではなく、あなたとともに働くのです。起こるべきることは、あなたが欲することが起こることです!ユニヴァースは、あなたの望みを達成するためにすべての必要な条件を整理します、ユニヴァースは抵抗がないからです、あなたが望むこれらの条件を一瞬に手配します。あなたが起こってほしいと思うもの以外のものが起こるとしたら、二つの理由のいずれかです。
1)あなた自身が、考えたり信じてその望むものに抵抗している。
2)無意識のうちにあなたが本当に望むものを宇宙に伝えていると同時に、あなたは本当に欲するものを否認(denial)しているからです、そして宇宙はより深く、より強力な真実のあなたが本当に望むものに応答しているため。
どちらのケースであれ、あなたが支配しているのです。あなたが行動を起こすことなく、あなたの人生を生きることはできません。サレンダーすることとただありのままにいることを学ぶことは価値があります、それは抵抗を解き放すのに役立ちますし、時間が存在しない、現在の瞬間だけが存在のすべてであり、そのままで完璧なクオンタム・ユニヴァース(量子宇宙)のスピリチュアルな存在としての真実と再び繋がるのです。しかしながら、物理的な次元で「ただいる」ことはできません。それは、終了したことです。それは、あなた自身がクリエーターとしてここに来たことを許容していないことを意味します。これはあなたの人生です。生きなさい、今。
ティール・スワン
ティール スワン スコットの著書は、出版されてますか。
ネットで検索しても出なくて。
ヴィデオとブログ・エントリーは、山ほどありますが、本は1冊、The Sculptor in The Skyが英語であるだけですね、今のところ。
まだ、半分しか読んでないけど。
うーん!
英語だけですか。
次の本が、Hayhouseから来年ごろでますから、そのうち日本にも翻訳がでてくると思います。
[…] この前の、ティール・スワンのポストにしても同じ様な事を述べているんですね。 […]